呉美保監督、映画監督としてのキャリアと母親としての挑戦

1. 呉美保監督の輝かしいキャリア

呉美保監督は、そのキャリアにおいて多大な成果を残してきた優れた映画監督です。彼女の輝かしいキャリアは、『そこのみにて光輝く』(2014年)という作品でモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞したことに象徴されています。この受賞は彼女の才能と努力を証明し、日本の映画界に新たな風を吹き込みました。

しかし、呉監督にとってキャリアの道のりは決して平坦ではありませんでした。特に、映画業界で活躍しながら母親としての役割も果たすという挑戦は大きなものでした。彼女は38歳で授かり婚をし、子育てと映画制作の両立に悩む日々を過ごしました。その結果、9年間もの間、長編映画の制作から離れることになりました。

その間、呉監督はCMや短編映像の制作に携わり続けましたが、映画製作に戻ることができるかどうかについては非常に不安を感じていました。そんな中で今回の『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、彼女にとって9年ぶりの長編映画となり、その制作には多くの困難と挑戦が伴いました。彼女は夏休みの間に夫と義父母の協力を得て、2人の息子を預けて3週間で映画を撮り切るという強行スケジュールをこなしました。

呉監督のキャリアには、社会の中で女性が直面するさまざまな課題や葛藤が色濃く反映されており、特に母親としての役割と映画監督としてのキャリアの両立を模索する姿勢が際立っています。彼女の物語は、同じような状況にある多くの人々に勇気を与えるものとなっています。

2. キャリアの長い空白の理由

映画監督である呉美保(くれみほ)さんが、長い間映画制作から遠ざかっていた理由は子育てでした。『そこのみにて光輝く』でモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞した彼女は、それ以後、CMなど短い映像の仕事を続けていましたが、本格的な映画制作からは遠ざかっていました。その理由は、「子育てをしていたら時間が全くなかった」というものでした。

呉監督は38歳で授かり婚を経験し、妊娠時には映画界に戻ることを考えてもいませんでした。しかし、育児の大変さや映画界の先輩女性たちが子どもを産んで辞めていく姿を見て、自分も同じような不安を抱えていたといいます。それでも彼女は、第一子を出産した1か月後に『きみはいい子』の公開が決まっていたため、出産直後にもかかわらず産後20日でモスクワ映画祭へ参加するなど、非常なスケジュールをこなしていました。

その結果、呉監督は産後半年で帯状疱疹になってしまい、次第に映画界に戻れるという気持ちは完全になくなってしまいました。それでも新作映画を制作したのは、家族や周囲のサポートがあったからこそです。特に、夏休みの3週間で新作映画を撮り終えるという強行スケジュールを乗り越えられたのは、夫や義父母が二人の子どもを預かってくれたおかげです。

家庭と映画制作の両立は非常に難しいものでしたが、呉監督はそれを乗り越え、再び映画界にカムバックしました。彼女の挑戦は、同じ立場にいる多くの女性たちにとっても、大きな勇気と希望を与えていることでしょう。

3. 出産と育児による変化

子供を授かったのは38歳の時で、まさに授かり婚でした。育児が大変だと予想していたものの、具体的な計画はしていませんでした。その結果、育児とキャリアの両立が想像以上に難しくなり、体調も崩してしまいました。育児を始めてから映画の世界に戻ることを考える時間がほとんどありませんでした。子供が生まれてからは、本当に時間がなく、日常のほとんどを育児に費やすこととなりました。

映画界でのキャリアを持ちながら、育児という新しい挑戦に直面しました。最初の1ヶ月はとにかく手探りで、何をどうすればいいのか戸惑うことばかりでした。映画のプロモーションなどで忙しかった時も、産後20日目にモスクワ映画祭に参加することを決断しましたが、それは非常に大変な経験でした。映画祭に参加しながら育児を続けることは想像以上に厳しく、次第に体調を崩してしまいました。育児と仕事の両立がいかに大変かという現実に直面し、帯状疱疹になってしまったこともありました。

その後、帯状疱疹の痛みと戦いながらも、何とか広告の仕事を続けていましたが、映画の制作に戻るという気持ちはしばらく完全になくなりました。子供が1歳になる頃には、ようやく体調が回復し始め、少しずつ映画の世界に戻れるかもしれないという希望が見えてきました。しかし、それまでは育児に全てのエネルギーを注ぎ込まざるを得なかったのです。子供を育てながらもキャリアを続けることの難しさは、身をもって体験しました。

4. 日本映画界の働きにくさ

呉美保監督は、映画『そこのみにて光輝く』でモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞するなど華々しい経歴を持っています。
しかし、彼女が映画界で活動を続ける中で、日本映画界の女性監督としての働きにくさを何度も実感してきました。
特に、出産と育児を経験した後、その働きにくさは一層際立ちました。
出産育児を機に、多くの先輩女性監督が映画界を去っていく現実を目の当たりにすることとなりました。
これは、女性監督にとって大きなプレッシャーとなり、自身のキャリアにも影響を及ぼします。
呉監督も例外ではなく、出産後は映画制作の現場から一時的に離れることを余儀なくされ、映画の世界に戻れるという確信を完全に失ってしまったのです。
このような状況が続く中、呉監督は9年ぶりの長編映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』を制作することになりましたが、撮影は非常にタイトなスケジュールで行われました。
彼女は夏休みの3週間という短い期間に、2人の息子を夫と義父母に預けて撮影を完了させました。
これほど厳しいスケジュールでの撮影は、家庭とキャリアの両立の難しさを如実に物語っています。
呉監督の体験は、日本映画界の構造的な問題を浮き彫りにしており、女性監督が働き続けやすい環境を整えることの重要性を示しています。
映画産業の中で女性がより活躍できるような制度や支援が求められているのです。